笑ってもらう幸せ

 幼い頃から可愛げがないと自覚している。幼稚園生の頃から周りの大人から「しっかり者」レッテルを貼られて(いると思い込んで)いた。それを内面化したせいか、いつも目が吊り上がっていて、愚直で、周りを顧みることが出来なくて、まさに合唱コンクールで張り切る女子みたいな子供だった。

 幼くして高いプライドが形成されたせいで、他人に笑われるのが大嫌いだった。私はませた子供だったから、敬語やマナーの本が大好きで、行く先々で本に書いてあることを実践していた。それが大人の目には可笑しく(今思えば微笑ましく)見えたのか、何も変なことはしていないのに笑われることが多かった。その度に頭に血が上って、恥ずかしくて、悔しくて、目の端に涙をためながら無言の抵抗をした。プライドが硬直して、他人に後ろ指を指されることに対して過剰に拒否反応を起こしていた。

 

 盛岡に旅行に来ている。小雨だったが風の強い日だった。首から下げているカメラを雨から守るためにも、傘を差さなければならなかった。道すがら何度も強風に煽られてこうもり傘になってしまい、なかなか前に進めない。なんとか目的の場所に着こうとしたその時、パキッ、と音を立てて傘が折れてしまった。これが地元での出来事なら落ち着いていられたかもしれないが、観光地での出来事だった。すぐに「盛岡市 折れた傘 処分 方法」で検索するも、居住者向けのごみ処理案内のサイトしか出てこない。焦って家族のライングループに報告するも、返信がない。しばらくセブンイレブンの軒先で折れた傘が飛ばされないように布の部分を踏んで途方に暮れていた。仕方がない、恥を忍んで地元の人にどうすればいいか聞こう、と残りの折れていない傘の骨を全て折って、川徳 のインフォメーションセンターに行った。処分を引き受けてもらい、あっさり解決した。

 傘を処分した後、雨に打たれながら BOOKNERD や クラムボン に行った。その日の盛岡は5月にしては珍しく最高気温が1桁で、どこを訪ねても天気の話でもちきりだった。楽しく観光するために、天気の話になる度、ここに来るまでに傘を1本折られちゃいました、と開き直って少しだけふざけてみた。そうするとせっかく観光をしに来たのに雨に打たれて傘を折ってしまって気分が塞いだ私が慰められるような気がした。

 盛岡のミニコミ誌「てくり」がプロデュースしている shop+space ひめくり を訪ねた。東北地方の民藝品の精緻さに見惚れ、「てくり」のバックナンバーを手に取り、盛岡の文学土壌についての号を1冊購入した。店員さんにレジ打ちをしてもらっている間、例に漏れず天気の話をした。地元の人でも服装を間違えてしまうほど寒いこと、明日は20度の寒暖差があること、波長が合ったのか、店員さんのお話が上手なのか、話が盛り上がっていつの間にか商品を受け取ったまま立ち話を続けていた。ここでも傘が折れたことを話してみると、店員さん自身や他のお客さんも何度もこうもり傘になったという話をしていたところだったと聞いた。こうもり傘になるだけでも珍しいと話していたのに、まさかその上をいくひとがお店に来るなんて!と笑ってもらい、終いには、お店のブログにこのことを書いてもいいですか、と尋ねられた。傘が折れてへこんでいた私がなんだか救われたようで嬉しくて、快諾した。

 

 いつの間にか、誰かに笑ってもらえることを幸せと感じるようになったことに気付いた。少し昔の私だったら、傘が折れておろおろしている姿なんて恥ずかしくて、夜に寝床についたときにぐるぐると頭の中で反省会をしていただろう。それを自ら笑い話に変えて誰かと繋がるきっかけにするようになるなんて、どこで自意識が変化したのだろう。慣れない土地の雰囲気か、年齢を重ねて身のこなしが洗練されてきたのか、何がそうさせたのか今の私には分からない。それでも、幼い頃にたくさん味わった他人に笑われて心にわだかまりができる苦しい感覚から解放されて、誰かに笑ってもらえて心が温かくなる幸せを感じられるようになった、そんな私にささやかな祝福を送ろうと思う。