宮城岩手旅行記 5日目 陸前高田

 4泊5日の旅、5日目。

umprns.hatenablog.com

 ついに旅行も最終日だ。帰る道すがら、寄り道をすることにした。

 

 高速道路で陸前高田へ。高田(私たちはこう呼ぶ)に来るのは、10年ぶりらしい。

 高田は父の実家があった場所で、馴染み深い。馴染み深いはずだったのに、高田はすっかり整っていて、車で走っていても自分がどこにいるのか分からなかった。高田は新しい町になって、今日も誰かがそこで生活をしていて、それ以上でもそれ以下でもないのに、無意識に面影を探してしまう。かろうじて残されている朽ちた建物を見ると、安心するような、恐ろしいような、ぐちゃっと音がするような気持ちになる。なにを思っても本物じゃない気がして、じゃあなにを思えばいいの、と自分に問う。

 祈念公園へ。時間の都合もあり、伝承館は見られなかった。見られなかったのか、見たくなかったのか。父がここに私たちを連れてきたのだから、その選択は父にゆだねられていたのだけれど。父は自分の気持ちを話さないから分からない。私は見ないといけない、だけど…と尻込みしていたから、また覚悟が決まったら来ようと思う。

 こういう「覚悟が決まったら」とか言えるのも、東北3県の人間じゃないから言えるんだよ、と自分の言葉の加害性に傷つけられていく。震災の日、誰も覚悟なんて決まってなかったはずだ。なのに私は。

 

 

 空が高い、天気のいい日だった。もともとは松原があった場所を海に向かって歩いていく。爽やかだ。

 途中、献花台に海に向かって花が手向けられているのを見た。この日の海は遠くまですっきりと見えていて、綺麗だった。現実を突きつけられる。

 この海が、奪った。この海に、まだ人が…。

 怖い。松原には思い出がある。まだ小さかった頃、祖父と母と姉と、木陰にある遊具で遊んでいた。無邪気で、まさかここで人が死ぬなんて、一度も思ったことが無かった。

 手は合わせられなかった。私が何をしても無力で偽物だ。落ち着いたころになってやっと来て、呑気に写真なんか撮っている私がなにをしても偽物だ。

 見えない海の底に目を凝らすのがやっとで、それ以上はなにもできなかった。