お酒についての覚書

  • 前提として、どんなお酒も美味しく飲む能力はある。
  • それはそうとして、醸造酒は何の疑いもなく飲めるのだが、酎ハイのような混ぜ物のお酒(ウーロンハイや緑茶ハイのようなソフトドリンクにお酒を混ぜたもの、カクテルを除く)を飲む際には、「意味が分からないなあ…」と思いながら飲んでいる。(それなら飲まなければいいと言われるだろうが、喉の渇きを癒したいかつお酒を飲む雰囲気の時に選択しているので許してほしい。こういうときは日本酒では違うのだ。)
  • 醸造酒(日本酒、ビールなど)は、製造段階で独特の味わいやテクスチャーが生まれることに興味があり、積極的に試している。他の飲み物に代わりの効かない存在である。
  • それに対して酎ハイは、味だけ求めるのであれば、割りものであるお茶を純粋に楽しめばいいのであって、そこに焼酎を加える意味を見出せない。
  • 世の中には「酔っぱらいたい」という欲望があることは分かっている。
  • 私が酎ハイに意味を見出せないのは、己のなかに「酔っぱらいたい」という欲望が全くないからである。
  • 姉とお酒について話したところ、「酔っぱらう」ことには、コミュニケーションを円滑にする役割があることが分かった。
  • 素面でコミュニケーションを円滑にとれる相手としか食事もしくはお酒の場に行かないから「酔っぱらいたい」という欲望がないのかもしれない。
  • 仲が深い人としかお酒の場に行かないから酔う理由がないのと、コミュニケーションに少々の摩擦がある人の前では酔っぱらいたくないという願望が、私に「酔いたい」という欲望を与えないのかもしれない。
  • お酒は基本的に身体に対して害であるから、酔っぱらうほど飲むということに嫌悪感もある。意外と私は健康オタクなのかもしれない。
  • 「酔っぱらうこと」をいいこととして扱う世の中の態度に逆張りしているのかもしれない。私は天邪鬼である。
  • 結局、いろいろと考えているふりをするのが好きなのかもしれない。でも、それってかなりダサイ。でも、トマトハイはトマトジュース味だったし、だったらトマトジュースを飲めばいいじゃないかと、ずっと不思議なのであった。

20241117 からまり

 7時に起床。目を覚ますために温めた麦茶を飲む。

 リュックに本とノートを詰め、コメダ珈琲までの道をのしのしと歩く。わたしは大股で早足で歩くので、本当にのしのしと音が聞こえてきそうである。この間、商店街をのしのし歩いていたら、追い越したカップルに「早足すぎない?」と笑われて恥ずかしい思いをしたので、最近はおしとやかに歩こうと意識しているのだが、のしのしと歩くのは気分がいいのでやめられない。

 コメダ珈琲に着くと、朝帰りのホスト達がお会計でバカ騒ぎをしていた。ホストになるようなひとと人生が交わったことがないから彼らの行動がまったくもって理解できない。案内されるまで数分待つ。

 カフェオーレとモーニングのパン、ゆで卵。さくっと食事を済ませ、統計学のテキストを開く。最近、大学院に進学することに興味が出てきて、そのための予備知識を入れようと目的する勉強である。今日のところはすんなり理解でき、安心。勉強を軽く済ませ、江國香織きらきらひかる」を開く。台所から伴侶に大きな声をかけるシーンが官能的で、なんでこんなに日常的なことをつややかに描けるのだろうかと、読み進めていくうちにわたし自身の日常までがつややかなものに感じられてきて、大きなため息をついた。

 

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 実習課題を班で決めるとき、結果を予測したうえで対象を決めることになったことに納得がいかない。私は既知のこと(と思われていること)を導きたいのではなく、未知のことを自分自身の手技で既知のことに昇華させたかったのだ。単位がかかっているから、結果が欲しいのは分かる。でも、保守的なことをしていたって本当の意味での学びにはならないと思う。私は、例え結果が出なくても、その過程からひと掬いの砂金をかき集めたかったんだよ。体裁の整った「お勉強」ではなく、不格好な勉強がしたい。

 

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 姉と話していると、誰かの言葉を吐き出しているように感じるときがある。すべての言葉に鍵括弧がついているような感じ。とくに、昨今インターネットでは〇〇構文やミームが目まぐるしく流行していて、それに乗っ取られているような話し方しかできないひとを時たま見かける。それって、自分の身体を誰かに簡単に明け渡していることと同じなのではないかと思い、時折怖くなる。言葉なんて、すべて誰かから授かったものではあるのだけれど、そこに自分自身のたましいを燃やせているか、わたしはわたしの身体を大切にしたい。

20241021 サンキャッチャー

 やっと早起きに成功する。ラジオニュースを聞きながら朝ごはんとお弁当を作り、昨日のことを考える。たぶん、私が悪かった。「おはよう」のLINEに返信はない。

 金木犀。先週末は学部棟の中にまで香っていたのが、週が明けたらおだやかになっていた。オレンジの絨毯。金木犀が散るのは桜が散るよりもずっと物悲しくて、それはおそらく、わたしが冬に持つ”おしまい”のイメージを想わせるからだ。

 9時の図書館はひとが少なくて、朝の香りがした。

 講義を1つ。友人と昼食。昼過ぎ「おはよう」とLINE。スタンプで返信。プレゼンを1つ。勉強不足との指摘を前向きに受けとる。

 夕方。家に帰るともう部屋が暗い。日光の入らない部屋。わたしの部屋にはサンキャッチャーは似合わない。ミラーボールのようなまぼろしがやけに恋しくなるときがある。実家は南向きの一戸建てだ。