4泊5日の旅、4日目。
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交通系ICカードが使えると思い込んで2000円チャージしたら、切符での乗車をお願いします、とのことだった。切符だと旅情があってかえっていいかもしれない。
花巻駅で乗り換えて、新幹線も止まる新花巻駅へ向かう。大きい駅だと思ったら、思ったより閑静で驚いた。
土沢線バスに乗り換えて宮沢賢治記念館へ。バスに乗って最寄りの駅で降りると入場料が無料になるチケットをもらえたのがありがたかった。
宮沢賢治記念館は山の中のさらに山の上にある。一段ずつ雨ニモマケズの文字が当てられている階段を昇り、頂上を目指す。
ア、メ、ニ、モ、マ、ケ、ズ、カ、ゼ、ニ、モ、マ、ケ、ズ、・・・
雨ニモマケズは約370文字ある。階段を昇り切ったら、すっかり汗をかいていて、ハアハアと息が上がっていた。
階段を昇りきってしばらく歩くと、宮沢賢治記念館が見えてくる。
入ってすぐ、宮沢賢治の学問的・芸術的多才さに圧倒される。
農学、芸術、天文、宗教など、存在する事象全てに通ずる普遍性を見出し、それを見出す心の機敏さが作品に刻まれているという印象を受ける。
宇宙の中の一分子としての自覚が信念としてあり、その分子としての多岐にわたる活動のひとつが執筆だったのだろう。
中でも響いたのは、柳原昌悦に宛てた書簡の一節。
あなたがいろいろ想ひ出して書かれたやうなことは最早二度と出来さうもありませんがそれに代ることはきっとやる積りで毎日やっきとなって居ります。しかも心持ばかり焦ってつまづいてばかりゐるやうな訳です。私のかういふ惨めな失敗はたゞもう今日の時代一般の巨きな病,「慢」といふものの一支流に過って身を加へたことに原因します。僅かばかりの才能とか,器量とか,身分とか財産とかいふものが何かじぶんのからだについたものででもあるかと思ひ,じぶんの仕事を卑しみ,同輩を嘲り,いまにどこからかじぶんを
所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ,空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこともせず,幾年かゞ空しく過ぎて漸く自分の築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては,たゞもう人を怒り世間を憤り従って師友を失ひ憂悶病を得るといったやうな順序です。あなたは賢いしかういふ過りはなさらないでせうが,しかし何といっても時代が時代ですから充分にご戒心下さい。風のなかを自由にあるけるとかはっきりした声で何時間も話ができるとかじぶんの兄弟のために何円か手伝えるとかいうようなことはできないものから見れば神の業にも均しいものです。そんなことはもう人間の当然の権利だなどというような考えでは,本気に観察した世界の実際と余り遠いものです。楽しみは楽しみ,苦しまなければならないものは苦しんで生きていきましょう。
私はすっかり「慢」に脅かされているとドキッとした。私の持ち物だと思っていた身の回りのことは全部、流動的で私自身が所有しているわけではない。常に変化して、手元を離れる瞬間がいつか訪れる。その瞬間が来るまで、大事に扱っていきたい。
「楽しみは楽しみ、苦しまなければならないものは苦しんで生きていきましょう。」という諦観も混じった言葉に宮沢賢治の現実がにじみ出ているようで、心が重く、でも励まされるような、寄り添ってもらえるような気分がした。
宮沢賢治記念館を後にし、花巻駅近くでバスを降りる。近くの蕎麦屋で賢治セットを頼む。宮沢賢治が一杯やろう、というときは、常にサイダーだったらしい。これですっかり宮沢賢治に染まった1日になった。