20231222 最後のカウンセリング

  最後のカウンセリングの日だった。1年半取り組んできたカウンセリングもやりきってしまえばあっという間だった。

 カウンセリングを始めたきっかけは、母に勧められたことだったけれど、やり進めていくうちに自分の完璧主義なところや失敗を過剰に怖がるところ、不安に過剰反応するところに気付いていった。そこを認知行動療法で改善していくのは、辛いことではあったけれど(最初の方は自分に合わない治療を放棄したりしていた)、確実に人生に効いてくる感じがして割と楽しく取り組めたと思う。それに、やり進めていくうちに今まで自分が形成してきた価値観は、周囲の環境からも影響を受けていて、その責任は私だけにのしかかるものではないということに気が付いて肩の荷が下りた。

 カウンセリングを受けている途中に、今楽しみなことはなにかと問われた。私は、これから引越しの間まで、家族と過ごすことが楽しみだと答えた。その瞬間、私は時の流れの中に楽しみな瞬間と不安な瞬間のグラデーションが見えた。今までだったら先のことの不安しか見えなくなって、目の前の楽しみなことを見逃していたように思う。そういうところもカウンセリングを受けて変化したことなんだと思う。

 不安の反対は納得であり、現在の自分の姿に納得していれば、先の不安が多少あってもそれはそれとしてそっとしておくことができるのだと思う。反対に、自分に納得できていないと、理想を未来に託しすぎて、それを達成できなくなった瞬間に大きな不安に襲われるのだと思う。そう思うと、この2年の休学期間は、病気を受け入れられず、学校にも通えず、自分に納得できないで空回りばかりする時間だった。おそらく、とてもつらかった。これからは自分に納得できる努力をできるだけして、そして未来に期待しすぎないで今の自分で頑張りたいと思う。

 人には体調に波があるけれど、経験があるから絶対同じところには戻らない。波は右肩上がりに成長していく。人は螺旋状に変化する。キャパシティーの7割くらいで動いて、あとは休息を大事にしていけば、だんだんとキャパシティーは大きくなり、元の10割を今の7割が超える日が来るはずだ。

 休学期間中に唯一続けられたことがカウンセリングだった。そのカウンセリングが終わるのは少し寂しい。カウンセラーとの離別も、話を聞いてくれて一緒に考えてくれて、私の知らない傷つきを拾って慰めてくれる人がいなくなるのはすごく寂しいことだ。それでもきっと、これからは自分自身が自分自身のパートナーとして、自分を慰められるはずだ。きっと大丈夫。

 今日のところはカウンセリングを終えられてほっとしている。1年半、よく通いきった。おつかれさまでした。