20230930

 曇天に一筋光が差し込んでいるような空。窓から吹く北東の風がカーテンを膨らませている。

 

 今日はスコーンを焼くぞと決めた。どこかの料理研究家のレシピを自分なりにアレンジして、半分オリジナルなスコーンを焼く。前回焼いたときは薄力粉だけで焼いたけれど、今回は強力粉を半分混ぜてみた。ざくざくの仕上がりになるのかしら。粉をふるって、さいころ状に切ったバターをブレンダーですり合わせる。ふわっと粉とバターのミルキーな香りが漂って、ベーキングのよさはここにあると感じる。生地を寝かせ、コップで型抜きをし、オーブンで20分。形は不格好になってしまったけれど、小麦の香りが豊かなざくざくのスコーンができた。生地の端っこを丸めたスコーンを、台所で立ったままひとりで食べる。焼いた人の特権だと思いながら、うしし、と食べる。

 

 昨日のことを思い出している。私は家族に静かな怒りを感じているまま過ごしているのかもしれない。恐怖感、無力感、心許なさ。私が日頃から感じているこれらの感情の一端は、家族に植え付けられたものではないかと疑っている。怒りはふたつめの感情であるとはよく言う。じゃあわたしのひとつめの感情は?多分、この怒りは寂しさの裏返し。

 

 わたしは相談するのが苦手。相談しようとすると、筋道を立てて相談しなきゃ、分かりやすく困っていることを伝えなきゃ、でもわたしはわたしの現在地が分からなくて困っているんだよ、と葛藤する。

 「相談するのに力が入っていますね。」カウンセラーに言われた言葉。そう、私は相談をかぎかっこにいれてしまう癖がある。「相談」。堅苦しくて、かしこまっていて、檻に閉じ込められている感じがするでしょう。相談、もっとカジュアルな言葉に定義し直せないだろうか。とりあえず、話を聞いてもらいたい。聴くじゃなくて聞く。ああ、また「聞く技術聞いてもらう技術」を読み直そうかなあ。←これももしかして力入ってますか?

 

 どことなく不安な朝。胃から不快感がこみあげてくるのを、はいはい、といなして洗い物をする。オーブンの音、食洗器の音、風が吹く音、鳥の鳴き声。洗い物が終わるころには不安は消えて、爽やかな昼になっていた。