ブラックコーヒーと成長についての所感

 ごく最近、ブラックコーヒーが飲めるようになった。特にグラスにたっぷりと氷を入れて熱いコーヒーを注いだのを飲んでいる。温かいのはちょっといい豆のしか飲めない。ほんの1か月前までは牛乳を入れたり、砂糖を入れたりしないと飲めなかったし、舌に酸味がざらざらと残るのが嫌だった。それが喫茶店に入った時にアイスコーヒーを頼んだり、試飲のコーヒーをわざわざ貰いにいったりするようになって、自分でも変だなと思う。

 ブラックコーヒーを飲む理由をふと考えている。こう言うとコーヒー党の人には怒られるかもしれないけど、別に美味しいから飲んでいるわけじゃないんだと思う。飲んでいる時の雰囲気とか、「ブラックコーヒーを飲んでいる」という事実に浸っているだけなんじゃないかとか、とにかく飲むという行為自体に価値を見出しているように思う。

 

 高校生の時、付き合っていた人としょっちゅうファミレスに行って、ドリンクバーを頼んで長居していた。ある時、彼が急にブラックコーヒーを飲むようになった。コーヒー飲めるようになったの、うん、苦いのがいいんだよ、飲めないなんて子ども舌だね、かわいい、などと会話を交わす。かっこ悪、と思った。私は、甘い炭酸ばかり飲んでいた。

 多分、本当にかっこ悪かったのは私だったんだろうと思う。背伸びをするのを過剰に恥ずかしがって、そういうことをしている人に心の中で悪態をついていた。斜に構えた、ふてぶてしい高校生だった。

 そんな私に気付かないまま背伸びをしていた彼は、いつの間にかその背伸びした背丈に追いついて、そのまま大人になった。私たちは別れた。私の心の背丈は、きっとまだ彼の何倍も小さい。

 

 ブラックコーヒーを飲めるようになって、少しだけ大人になったような気分がする。高校生だった頃の彼に遅れて、私の心も成長し始めているのかもしれない。ブラックコーヒーの苦さに鈍感になったように、背伸びすることへの過剰な恥ずかしさも、鈍くなってしまえばいい。

 

【追記:2023年5月12日】

 盛岡の喫茶店 豆と喫茶waltz で飲んだ水出しアイスコーヒー(ケニア)がとても美味しかったので、やっぱり味が好きでブラックコーヒーを飲んでいるのかもしれない。苦さが無いのにウッディなコクがあって、水出しだからなのか雑味が全くないクリーンなコーヒーでした。