夏の影

 心が動く感覚がすっかりなくなってきてしまい、焦っている。裏返せば、大きな波のある暮らしから脱出できたということで望ましい状態ではあるのだけれど、わたしはやっぱり、ああでもないこうでもないと色んなことを考えて、それが陳腐だったり取るに足らないことだったりしても、そうすることが好きなんだと実感する。

 

 道に夏の影を落としながら、図書館へ向かう。暑い。図書館の近くには青空レストランがあり、まるで真夏のビアガーデンかのようなかがやきだ。

 決して大きな図書館ではなくとも都市の中央図書館というと、誰が手に取るのかもわからないロシア文学全集などがずらっと並んでおり、わたしが生きている文脈とはちがう文脈がすぐそこにあるという事実に毎度新鮮に足が竦む。わたしの身長よりも高い本棚がいくつもいくつも並んでいる。今わたしが読んでいる本の幅と、本棚の幅を比べて、その大きさの違いとそこに並んでいる本に書かれているであろう知識の量に圧倒される。

 わたしが定期的に本屋や図書館に来てしまう理由、または行くのを避けてしまう理由は、この世の中にわたしが知らないことがまだたくさんあって、到底手の届く範囲には無いということを知るからだ。それを身をもって感じたいとき、または目を背けたくなるとき、わたしは本棚を眺める/見ないふりをする。

 

 まだ知らないことに手を伸ばし続けたい。その欲望が尽きることはない。その原動力になるのは、心が動くことなのだが、最近はすっかり穏やかな生活にうつつを抜かしている。欲を燃やせ。手を動かせ。夏の影がすべてを容赦なく塗りつぶすように、わたしは世界のすべてを範疇に収めたい。