刺すような視線

 他人の状況をエンタメ的に消費するひとが嫌いだ。

 家の近くに救急車が止まると、続々と見物人が集まるような場所に住んでいる。私の母も見に行っては、誰々さんの家かも、と何の特にもならない情報を仕入れて帰ってくる。

 

 隣の家に住んでいるおばあさんは噂好きで、近所の人がどういう仕事についていて、どこの学校に通っていて、どんな病気があって、すべてを知っているかのような存在だ。私はここ数年の自分の変化のせいで、この人が苦手になった。

 朝起きてシャッターを開けるとき、散歩に行くとき、病院に行くとき、出かけるとき、いつも出くわさないかドキドキしている。私はこの人にエンタメとして消費されるために病気になったわけじゃない。

 堂々としていれば良いのは分かっている。病気になること自体が悪い訳では無いし、今回復のために努力をしているし。それでも隣の家のおばあさんが怖いのは、私が1番私自身を責めているからだと思う。

 他人に抱く感情は、自分の価値観の反映だ。私は、今の私にポジティブな感情を抱くことは難しい。それを勝手に隣の家のおばあさんに投影して、好き勝手理由をつけて嫌っているだけだ。

 他人の目を気にしているとき、実は自分の目を気にしていることは往々にしてある。

 

 夜、外に出ると夏の匂いがするようになった。私が私に向けている鋭い眼差しも夏の刺すような明るさの中に消えてしまえばいい。