7時に起床。目を覚ますために温めた麦茶を飲む。
リュックに本とノートを詰め、コメダ珈琲までの道をのしのしと歩く。わたしは大股で早足で歩くので、本当にのしのしと音が聞こえてきそうである。この間、商店街をのしのし歩いていたら、追い越したカップルに「早足すぎない?」と笑われて恥ずかしい思いをしたので、最近はおしとやかに歩こうと意識しているのだが、のしのしと歩くのは気分がいいのでやめられない。
コメダ珈琲に着くと、朝帰りのホスト達がお会計でバカ騒ぎをしていた。ホストになるようなひとと人生が交わったことがないから彼らの行動がまったくもって理解できない。案内されるまで数分待つ。
カフェオーレとモーニングのパン、ゆで卵。さくっと食事を済ませ、統計学のテキストを開く。最近、大学院に進学することに興味が出てきて、そのための予備知識を入れようと目的する勉強である。今日のところはすんなり理解でき、安心。勉強を軽く済ませ、江國香織「きらきらひかる」を開く。台所から伴侶に大きな声をかけるシーンが官能的で、なんでこんなに日常的なことをつややかに描けるのだろうかと、読み進めていくうちにわたし自身の日常までがつややかなものに感じられてきて、大きなため息をついた。
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実習課題を班で決めるとき、結果を予測したうえで対象を決めることになったことに納得がいかない。私は既知のこと(と思われていること)を導きたいのではなく、未知のことを自分自身の手技で既知のことに昇華させたかったのだ。単位がかかっているから、結果が欲しいのは分かる。でも、保守的なことをしていたって本当の意味での学びにはならないと思う。私は、例え結果が出なくても、その過程からひと掬いの砂金をかき集めたかったんだよ。体裁の整った「お勉強」ではなく、不格好な勉強がしたい。
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姉と話していると、誰かの言葉を吐き出しているように感じるときがある。すべての言葉に鍵括弧がついているような感じ。とくに、昨今インターネットでは〇〇構文やミームが目まぐるしく流行していて、それに乗っ取られているような話し方しかできないひとを時たま見かける。それって、自分の身体を誰かに簡単に明け渡していることと同じなのではないかと思い、時折怖くなる。言葉なんて、すべて誰かから授かったものではあるのだけれど、そこに自分自身のたましいを燃やせているか、わたしはわたしの身体を大切にしたい。