お酒についての覚書

  • 前提として、どんなお酒も美味しく飲む能力はある。
  • それはそうとして、醸造酒は何の疑いもなく飲めるのだが、酎ハイのような混ぜ物のお酒(ウーロンハイや緑茶ハイのようなソフトドリンクにお酒を混ぜたもの、カクテルを除く)を飲む際には、「意味が分からないなあ…」と思いながら飲んでいる。(それなら飲まなければいいと言われるだろうが、喉の渇きを癒したいかつお酒を飲む雰囲気の時に選択しているので許してほしい。こういうときは日本酒では違うのだ。)
  • 醸造酒(日本酒、ビールなど)は、製造段階で独特の味わいやテクスチャーが生まれることに興味があり、積極的に試している。他の飲み物に代わりの効かない存在である。
  • それに対して酎ハイは、味だけ求めるのであれば、割りものであるお茶を純粋に楽しめばいいのであって、そこに焼酎を加える意味を見出せない。
  • 世の中には「酔っぱらいたい」という欲望があることは分かっている。
  • 私が酎ハイに意味を見出せないのは、己のなかに「酔っぱらいたい」という欲望が全くないからである。
  • 姉とお酒について話したところ、「酔っぱらう」ことには、コミュニケーションを円滑にする役割があることが分かった。
  • 素面でコミュニケーションを円滑にとれる相手としか食事もしくはお酒の場に行かないから「酔っぱらいたい」という欲望がないのかもしれない。
  • 仲が深い人としかお酒の場に行かないから酔う理由がないのと、コミュニケーションに少々の摩擦がある人の前では酔っぱらいたくないという願望が、私に「酔いたい」という欲望を与えないのかもしれない。
  • お酒は基本的に身体に対して害であるから、酔っぱらうほど飲むということに嫌悪感もある。意外と私は健康オタクなのかもしれない。
  • 「酔っぱらうこと」をいいこととして扱う世の中の態度に逆張りしているのかもしれない。私は天邪鬼である。
  • 結局、いろいろと考えているふりをするのが好きなのかもしれない。でも、それってかなりダサイ。でも、トマトハイはトマトジュース味だったし、だったらトマトジュースを飲めばいいじゃないかと、ずっと不思議なのであった。