露見

20241012

 GUCCI COSMOS展を観に行く予定が、寝坊したので諦めた。

 近所のショッピングモール行きのシャトルバスに乗り、しまむらでスニーカーソックスを買う。最近はスマホのタッチ決済をやりはじめたせいで、鞄の中にレシートが散乱している。(以前は財布にしまっていた。)「お車でのご来店ですか?」「違います。」もっとスマートな言い方はないのかな。

 川沿いを歩き、図書館へ向かう。ちっとも集中できない。隣の席の女の子は大和大学の赤本を広げ、iPadにさらさらと問題の答えを書いたあと、スマホをずっといじっていた。隣接しているカフェでコーヒーを飲む。ちからがみなぎる味がする。窓際の席に移動する。隣に東大25ヵ年過去問を広げた男の子。紙にびっしりと数式を書いていた。結局ひとは他人のことを見たいようにしか見られない。公衆栄養学の課題を進め、夕日の写真を撮り、「ハーバード大学って過去問あるの?」と返信し、帰宅。OK Google、ただいま。

 「コーヒーでテンションが上がっているのは分かっている。これをゾーンとは呼びたくない。ただの神経伝達物質の乱れで病気だ。きっとこのモチベーションは保てない。淡々とやり続けるにはどうしたらいいんだ。テンションが高いから帰ってきてすぐに晩ごはんを作ったし、食事の量も抑えたし、すぐ風呂に入ったし、今こうして机に向かって日記を書いているし。調子がいいからこうしているんじゃない。調子が悪いからこうしている。ムラのある気分に嫌になる。」

 薬を飲み忘れたせいで眠れなかった。久しぶりに編み物をする。祖母の形見のかぎ針は、普段使っている百均のかぎ針とは使い心地が比べ物にならない。こうやって遺されたものを通じて祖母はほんもの(と見なされるもの、真実のほうが感じが近いかもしれない)の価値を教えてくれたんだと思うと、わたしはいったい何を遺すことができるのだろうか。

 

20241013

 9時半。コーヒーを流し入れて頭痛をなだめる。カフェインとあまりよくない付き合い方をしてるのは自覚している。

 エドワード・ゴーリー展。不条理を描くのが作風の作家なのに、不遇の少女に救いの手を差し伸べられる絵に心動かされてしまい、落ち込む。世の中はハッピーエンドでなければいけない、複雑な物より簡単なものがいいというような風潮に加担しているような気がしてしまう。世の中を複雑なまま見たい、と常日頃から思っているつもりだけど、わたしも結局はインスタントなハッピーエンドを求めていて、にせものだ。体裁を裏切る本能が垣間見えたとき、わたしはわたし自身のことをにせものだと思う。その絵のポストカードは買わなかった。

 (G)I-DLE「Allergy」を聴く。可愛らしい守られるべき女の子になりたいなー、と思うときと、世界のすべてを自分の範疇に収めたい、と思うときがあり、今日は後者だった。可愛らしくすべてを範疇に納めたら、それはそれでチャーミングかもしれないけれど、自己イメージに「可愛い」の単語はないため、諦めることにする。

 

20241014

 ドラックストアで買い物をする。きき湯がお買い得だったので買っておくことにした。ひととおり効能を確認したが、とくに効いてほしいことはなかったので、香りで選ぶことにした。はちみつレモン、ラムネ、カボス。いろいろな香りがある中で異彩を放っていたのが、「花の香り」。花…?ほかの香りはある程度焦点が絞られていて想像がつくのだが、「花」は香りのサイズ感が大きすぎて、ラムネの香りにすることにした。

 引き続き編み物をするも、編み図を読み間違えていて最初からやり直し。確認の意味を込めて編み図を紙に写す。わたしの性格の雑な部分、大雑把な部分が編み物をやることで矯正されればいいのに、と思う。

 


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